第 19 集 (2005年12月)

□ 崇徳高校(広島市)、大淵高校(釜山広域市)と交流へ

  釜山広域市にある学校法人承雄学園大淵高校の梁勇治理事長、尹基鎬校長らは 05年12月 5日(月)、広島市の崇徳高校を訪れ、奥田耕造副理事長、鳴川則弘校長に 両校の教職員、生徒の交流を申し入れました。
  崇徳高校側も この申し入れに応ずる方針です。釜山広域市韓日親善協会の李鍾均会長が 6月に広島を訪問した際、大淵高校との交流の相手校を紹介してほしい、と当協会に求めていたものです。
  この日、大淵高校の一行は 崇徳高校の授業風景や弓道部、バレーボール部の練習風景を参観したあと、両校の交流について 話し合いを行い「できれば、日韓友情年の今年のうちにも 姉妹提携をしたい」と提案しました。
  これに対して、崇徳高校側は「提案を前向きに受け止める。理事会に はかって どういう交流ができるか、検討したい」と答え、まず 交流の実績をつみ重ねる意向を表明しました。
  大淵高校は 釜山広域市南区にあり、生徒数 1,100人の男子校。進学熱の高い韓国でも 指折りの進学校、ということです。
  崇徳高校は広島市西区にあり、同じ男子校で 生徒数は 1,490人。野球、バレーボール、弓道などの名門校として知られ、進学校としても実績をあげています。


 

□ 「沙也可」 14代 金在徳さん 広島で講演


  豊臣秀吉の朝鮮出兵の時、朝鮮側に投降した日本の武将、沙也可の 14代目の子孫、金在徳さん(85)が 11月 2日(水)、広島市で講演しました。
  講演会は広島県日韓親善協会が主催、(株)グランドサウナ広島の協賛で 午後 5時半から 広島市のアステールプラザで開かれ、凡そ 80人が参加しました。
  秀吉が 朝鮮に出兵した いわゆる「壬辰倭乱」で 加藤清正の先鋒(せんぽう)をつとめた沙也可は 3千人の軍勢を率いて従軍しましたが、この戦いに「大義なし」として、降服。 その後、帰化して「金忠善」を名のり、武功をかさねて 大臣相当の地位を与えられましたが、壬辰倭乱が終わったあと、現在の大邱広域市友鹿里に戻って 余生を送った、と 伝えられています。
  その沙也可の 14代目の子孫である金在徳さんは 国民学校の校長を定年退職したあと、沙也可についての執筆や講演活動を精力的に続け、97年には、当協会の講演会で、講演しています。
  今回は、85歳の高齢をおして 各地を歴訪したあと、広島に立ち寄り 講演会に出席したもので、はじめに 沙也可について制作されたドキュメンタリー番組を鑑賞したあと、 金在徳さんが「今 なぜ沙也可なのか」という演題で講演しました。
  席上、金在徳さんは「日韓関係が微妙な今こそ、沙也可のような(平和主義的な)人物が存在したことを 認識していただき、両国の市民同士の友好の絆を強めねば」と訴えました。
  また、日本では 今ひとつ 人物像がはっきりしない沙也可について 金在徳さんは「日本にとっては、敵側に投降したのは不名誉なことなので 歴史から消しさられたのだろう」と その背景をかたりました。
 
 

講演会には80人が参加

広島では 97年に続いての講演

取材を受ける金在徳さん